特別支援を必要とする選手たちが、ピックルボールで新たな一歩を踏み出しています。
教育とスポーツ、そして「人とのつながり」が生んだ素敵なプログラムが、アメリカ・ニューハンプシャー州で大きく花開いているんです。
ピックルボールとの運命的な出会い
「ピックルボールって、なんか変な名前だなって思ったんですよね(笑)」
そう語るのは、元特別支援教師であり、今はピックルボールの伝道師・ドロシー・ディボナさん。
最初は半信半疑で友人に誘われて参加したレッスンでしたが、パドル(ラケット)を手に取り、ボールを打った瞬間に心が動きました。
「最初の一球で『これは楽しい!』って感じたんです。」
その日から彼女はプレイヤーとしてだけでなく、指導者としてもこのスポーツにのめり込んでいきます。
特別支援教育の現場で感じたスポーツの力
長年、ろう学校や支援学級で子どもたちに関わってきたドロシーさん。
彼女の教え子の中には、じっと座って話を聞くのが苦手だった子や、他者との関わりに不安を抱える子もいました。
そんな子どもたちが、スポーツの時間になると笑顔になり、自然と声をかけ合い、ボールを追って動き出す。
「スポーツには、薬では届かない“心の部分”に触れる力があります。」
だからこそ、ピックルボールの楽しさとチーム性が、特別支援の現場でも役立つと確信したのです。
プログラム誕生までのリアルな苦労話
「思ってたより、ずーっと大変でした(笑)」
特別支援が必要な選手向けのピックルボールプログラムを作るというアイデアはすぐに浮かびました。
でも、いざ動き出すと、壁だらけ。
まず立ちはだかったのは「場所の確保」。
「何十通もメールを出しました。返事がないところもたくさんあったし、断られることも多かったです。」
それでも諦めず交渉を続けた結果、エクセター地域YMCAが手を差し伸べてくれたのは構想から約2年後。
2023年夏、ついにプログラムがスタートしたのです。
支えるのは“経験と熱意”の仲間たち
「ひとりじゃ、ここまで来れなかった。」
ドロシーさんがそう言い切る理由は、強力なサポーターの存在です。
その筆頭が、地元スペシャルオリンピックスの名コーチ、ジム・タフツさん。
ジムさんは、30年以上にわたり知的障がいのある選手たちと様々な競技に取り組んできた人物。
バスケ、陸上、水泳…彼の経験があるからこそ、選手たちの状態や性格を見極めた上で、安全かつ楽しい練習が成り立っているんです。
他にも、アンさん・ドンさん夫婦、ケリーさん、ウェンディさんといった地域ボランティアたちが支えています。
週に一度の練習では、誰かが忘れ物をしても、さりげなくフォローし合う優しさがあふれています。
成長する選手たちとその喜び
参加者は20歳から45歳までと幅広く、最初は「サーブって何?」という状態から始まりました。
でも、週1回の練習を重ねるうちに、変化が見えてきます。
今年の夏、プレストン選手とマックス選手は、マサチューセッツ州で開催された大会にも出場。
初の大会で緊張しながらも、笑顔でラリーを続ける姿に、保護者もコーチも感動!
他の選手たちも、今ではサーブやフォア・バックハンド(※パドルの握り方によって打ち方が変わるショット)を打ち分けられるようになってきました。
技術だけじゃない!大切なのは人とのつながり
ピックルボールが、ただの“スポーツ”にとどまらない理由。
それは「人との関わり」が自然と生まれるところにあります。
練習時間は、地域の一般プレイヤーたちの後。
だからこそ、ベンチで声をかけてくれる人がいたり、ゲームに混ざって一緒に笑ってくれる人がいたり。
「この前、70代のおじいちゃんが“また一緒にやろうな”って言ってくれたんですよ!」
そんな交流が、選手たちの自信や社会性を育てるんです。
まさに“スポーツでつながる社会”が、ここにあります。
まとめ
ピックルボールは、特別支援が必要な選手たちにとって、運動以上の価値を届けています。
チャレンジの連続だった準備期間を経て、ドロシーさんたちの情熱が形になりました。
今では、技術の成長だけでなく、人との絆や笑顔の循環が広がる場に。
このプログラムが、世界中にもっと広がっていくことを願わずにはいられません。