世界を舞台に戦った五輪体操選手が、引退後は消防士に。
そして今、なんとピックルボールのプロ選手として全米を駆け回っている!?
人生3回目の“本気の挑戦”を続けるロクサンヌ・ピアース。
常に自分をアップデートし続けるその生き様は、私たちにも「まだまだいける」と背中を押してくれる。
オリンピックで掴んだ最高の思い出
1972年のミュンヘン五輪。
ロクサンヌ・ピアースは、アメリカ女子体操チームの一員として出場しました。
鉄棒や平均台で技を決め、拍手と歓声に包まれながらも、彼女が最も印象に残っているのは“競技以外の時間”でした。
選手村で世界中の選手たちと卓球をしたり、歌を歌ったり。言葉は通じなくても、笑顔と遊びがあれば仲良くなれることを体感したそうです。
「一瞬で打ち解けられるって、すごいと思った。スポーツが持つ力を感じた瞬間でした」と語ります。
競技後の人生で見つけた新しい使命
引退後も「ただ家にいるだけの人生にはしたくない」と思っていたロクサンヌ。
ある日、「自分の力で人の役に立てる仕事がしたい」と、救急救命士(※命の危険がある人を処置・搬送する医療スタッフ)に興味を持ちました。
そして地元ニューメキシコ州の消防署でトレーニングを受け、実際に現場で救助活動に携わることに。
炎の中に飛び込むだけでなく、交通事故の救助、心肺蘇生、災害時の避難誘導まで。
肉体的にも精神的にも過酷な現場で、彼女は新たな“本気”と出会ったのです。
消防の現場で学んだ“冷静さ”の大切さ
火災現場では、一瞬の判断ミスが命取りになる。
そんな極限の中で、ロクサンヌは「冷静でいることが一番大事」だと実感しました。
「パニックになってる人たちを落ち着かせるには、自分がブレてちゃダメ。言葉や態度で“安心”を伝えるのが仕事」と話します。
実はこの感覚、体操の試合にも似ているそう。
どれだけ練習してきても、本番でミスが出れば終わり。
集中と精神力が問われる場面では、元アスリートとしての経験がそのまま活きていたのです。
ピックルボールとの運命的な出会い
そんな彼女がピックルボールに出会ったのは、なんと地元新聞の記事がきっかけ。
「楽しそう!」と直感で思い、すぐに近所のレクリエーションセンターに向かいました。
ピックルボールは、テニスより小さなコートで、硬球より軽いボールをパドル(※板状のラケット)で打ち合うスポーツ。
年齢・経験関係なく誰でも始めやすいのが魅力です。
「一打目で“これだ!”って思った。久々にアドレナリンが出た」と彼女。
それからは週5で練習し、地元の大会でも活躍。
すぐにONIX(※全米で有名なピックルボールブランド)のプロチームから声がかかりました。
年齢を言い訳にしない、再スタートの極意
ロクサンヌは今や70代。
それでも毎日プレーし、試合に出場し続けています。
「歳だから、もう無理」とは一度も思わなかったそうです。
「大事なのは、体を動かすことを“日常”にすること。体力や筋力は後からでもついてくる」と力強く語ります。
朝はストレッチと軽い筋トレ、午後は練習、夜はしっかり睡眠。
そんな“当たり前”の積み重ねが、彼女の若々しさとパフォーマンスの源になっているのです。
強さとしなやかさをあわせ持つ生き方
平均台の上でバク宙を決め、現場で命を救い、今はピックルボールでスマッシュを打つ。
どの瞬間も全力で向き合ってきたロクサンヌは、「人生は何回でもやり直せる」と教えてくれます。
彼女の姿勢には、強さとしなやかさ、そしてチャーミングな情熱が詰まっています。
ONIXのユニフォームを着て戦う姿は、まさに“レジェンド再降臨”。
年齢や肩書きではなく、自分の中にある「もう一回挑戦したい」という気持ちを信じる——それが彼女の生き方です。
まとめ
ロクサンヌ・ピアースは、常に“次のステージ”を目指してきました。
体操、消防、そしてピックルボール。
それぞれの道で真剣に向き合い、楽しむことで自分自身を更新し続けています。
「何歳からでも遅くない」「まずはやってみよう」という姿勢は、きっと私たちの毎日にも活かせるはず。
彼女の生き様に、心から拍手を送りたくなりますね。