今回は、NAOが行く タイ編のDay3をお届け。未来の天才小説家NAOのレポートです!Day1から読みたい方はこちらをチェック!
バンコクど真ん中でピックル
バンコクの中心ともいえる駅・アソーク。そこから徒歩10分のところに本日の会場、Asoke Sports Clubがある。
サーフェスはツルツルでボールはかなり滑ってくる。後ろのスペースもかなり狭い。しかし、バンコクのど真ん中にあり、アクセスの良さはピカイチのピカチュウである。ぜひ一度足を運んでいただきたいピカ。
本日は一日中、こちらでピックル三昧デーである。午前はコーチング・セッション、午後はバンコクに住む人々とソーシャル・プレーを行う予定だ。
ドロップショット
コーチング・セッションが始まる。本日のテーマは「ドロップショット」。
「ドロップって、みんなが嫌いなハッカ味が出てくると缶の中に戻すせいで、後半はハッカだらけになってしまう缶菓子のこと?嫌いなものから目を背けるなっていう教訓をわかりやすく教えてくれたよね!」と勘違いしている方のために説明しよう。
ドロップショットとはサーブ、リターン、そしてその次の3打目をノンボレーゾーン(キッチン)の中に落とす(ドロップする)ショットのことである。リターン側が完全有利のこのスポーツにおいて、生命線とも言えるショットだ。
まずはデモンストレーションとして、ダニエルがバックハンドでドロップショットを連続で放つ。その美しい軌道にみんなが感嘆の声をあげる。僕はアシスタントコーチとして何度このショットを受けたかわからないが、もはや芸術なのである。どんな強打も無効化し、スピンがたっぷり乗ったボールを攻められない場所に落としてくる。無理に強打しようとすればスピンの餌食となり、ネットへと吸い込まれてしまう。
ダニエルの教えはいつもシンプル。「スイングを一定のスピードで、ゆっくり振り切る」である。
この「ゆっくり振り切る」の意味を、プレイヤーがどのように頭に落とし込み、身体で表現するかがポイントである。すぐにできずに「こんなのしゃらくさい」といって思い切り打ち込みだす人がいるが、どうか諦めないでいただきたい。まずはゆっくりとしたボールを(できれば手投げのボールを)ドロップする練習から始めてもらえればと思う。
このドロップショットに関しては人の性格がかなり出るショットだと思っている。強気でガンガン打つタイプの人はグリップに力が入りすぎていて、ボールがなかなか落ちてこない。逆に弱気なタイプの人はスイングを止めてしまい、ボールがポップアップしてしまう。
プレーをじっくり見ながら、一人ひとりの心を読みとりながら、対話を大切にしながら、言語化を手伝い、指導を進める。すると、だんだんとみんなが感覚をつかみ始める。
「これがドロップ…」「試合で使いたい…!」と感動するお客さんを見ると僕も嬉しくなる。
次の日もその感覚、覚えておいてね、と心でウインクをして、朝のセッションが終わった。
ビジネス・ピックル
午後5時から同じ場所でソーシャル・プレーの予定である。コートに向かうとすでに多くのプレイヤーたちがプレーしていた。「人を見た目で判断してはいけません」と小学校の道徳の時間に習ったが、タイ人は3割ぐらいしかいない印象だ。
この日はインドアコートでやりたい人は自分のパドルを順番待ちコーナーに置き、数試合待たなければいけないシステムだった。ピックル・ツアーのお客さんたちも次々にパドルを置いていく。インドアコート4面に対して人数が多く、待ち時間はかなり長そうだ。
それに比べて窓の外のアウトドアコートはガラガラで誰もピックルをしていない。「じっとしていられないタイプ」と大人の通信簿があったら書かれそうな僕は、それいけとばかりにお客さんとダニエルを連れて外に出て行った。
外には2面、コートがある。大都会のビルの屋上でのプレーはなかなか体験としておもしろい。映画「ハング・オーバー」のロケ地としてタイは有名だが、「ピックルバージョンを撮るならここが最適だよ」と映画監督に伝えたい。実際にこの場所ではお酒を飲みながらピックルを楽しむことができる。
早速ゲームを開始するも、風に乗りすぎるサーブとスリッピーなコートで本格的なピックルは難しすぎる。だが、難しすぎるがゆえになんだかおかしくなってきて、一球一球ゲラゲラと笑いながら、とにかくパドルを4人で振り続けた。みんなの黄色い笑い声は太陽と共に、じんわりと空を橙色へと変えていく。
ほどよい風とシティ・ポップな気分にさせる暗みが気に入った僕は、みんなが中に引っ込んでいった後もアウトドアコートに残り続けた。
しばらくすると、初心者のプレイヤーがやってきて、「コーチなんだよね?ちょっと教えてほしい」と頼まれる。「いいよ」と軽く言ってしまったが最期、アメリカ人、カナダ人、フランス人…バンコク在住の海外ビジネスマンたちが立ち替わり入れ替わり入ってくる。いつしか爽やかなアウトドアコートは熱血ピックル道場と化していた。
「サンキュー。今度バンコクでビジネスする時は俺に連絡ちょうだい」去り際に連絡先を交換する。結局、投資関係、不動産、銀行…様々な職種の人と知り合うことができた。
すでにアメリカではビジネスマンたちのアイスブレークとしてピックルが採用されていると聞いたことがある。日本でもいつかビジネストークの前にピックルをする光景が見られるのだろうか…。東南アジアの真ん中で「ビジネス・ピックル」の可能性をちらりと見たのであった。
タイ語でコーチング
「大都会に僕はもう独りで…」道場が一区切りし、高層ビルを見ながらスラムダンクの名曲を口ずさんでいると、もう一人、道場生が現れた。
タイ人の女の子で、名はダーオ。ダーオはタイ語で「星」という意味である。
アソークのインターナショナルスクールで英語を教えているという彼女。
レッスンしてくれる?と聞かれ、いいよ、と言った直後、僕はひとつ条件を出した。
「タイ語で教えてみてもいいかな?」
僕はツアーのお客さんにはなんとか英語で教えているし、コスタリカにいた時はスペイン語で必死に教えたことがある。だが、タイ人にタイ語で教えた経験がなく、一度やってみたかったのである。意外とできるんじゃないか、と妙な自信もあった。
ダーオは「もちろん!」と流暢な英語で返してきた。
人生初のタイ語でのコーチングがスタートした。
「えーっと、まずは構えの説明から行きます…あれ?構えってタイ語でなんだろう…。」初っ端から単語が出てこない。
「えっと…。」沈黙の間も地球は自転し、風が時間を流していく。
「…ごめん、ギブアップ。」
将棋でいえば「歩」すら動かしていない時点で僕は投了した。扇子が懐にしまってあれば、ハタハタと扇いでこの赤っ恥を取り除きたい想いだ。
果たして「ナオのピックル道場」は「ダーオのタイ語道場」と看板名を塗り替えることとなったのであった。
道場が終わり、中に戻るとお客さんたちはもう誰もいなかった。
「ナオ、どこにいるの?大丈夫?」というメッセージが大量に入っていることに気づき、「ナオ、生還」と急いで返信する。
お腹が空いたので近くのレストランでダーオと夕食をとる。
もうすぐ彼女は家族と東北の田舎に戻るそうで、いつかピックルコートを作るのが夢だと語っていた。「じゃあそこで今度はタイ語でコーチングするからね!」と叫んで、アソーク駅で手を振った。
あーあ、と口を開けながらアソーク駅の階段を降りる。タイ語、こんなにも話せないのか…と心がぺっこりへこんでいる。
『その人が理解している言語で話せば、頭に届く。だが、もし彼の母語で話すなら、心に響く。』ネルソン・マンデラ氏の名言である。言語を勉強する時にいつもモチベートしてくれるのだが、今は効果がないようだ。
日本語の授業の最初にこの言葉を伝えるとキラキラと学生たちは目を輝かせる。そして数か月後、その目は死んだマグロの目のようになっていくのも知っている。
「先生、日本語、難しい。」日本語教師の僕は何度この言葉を聞いたことかわからないが、負けず劣らず、タイ語もなかなか習得が難しい。
複雑なタイ文字、5つもある声調、せっかくタイ語を話しているのに英語で返されて下がるモチベーション…。『諦めましょうか。試合終了です。』とスラムダンクの安西先生でも言ってきそうなほどである。
「もうタイ語は限界かな…」投げ捨てられた空き缶みたいな心をペコペコ鳴らしながら歩いていると、メッセージが届いた。おととい訪れた「Beat Discovery」のコーチ、アーンからだ。
「もしタイに戻ってくるなら、あなたを雇いたい」とメッセージには書いてある。
「え…⁈ 突然、なんでだろう…。タイ語がぜんぜんできなくてへこんでるんだけど…」急なメッセージに戸惑いながらも心には嬉しさとありがたさがじんわりと広がってくる。
その時、ふと『人生はできないことができるようになるのが一番楽しい』という己の哲学を思い出した。
そうだ、そうだった…!今はできなくてもできるまで、あきらめちゃだめだ…!
タイ人にタイ語を話して変な顔をされては、少しへこんで、また勉強してきたんだった。ダニエルにボロクソに負けては、少しへこんで、また練習してうまくなってきたんだった。
いつかタイ語で教えられると信じて、ダニエルにも「95歳以上」のカテゴリーぐらいになったら勝てる(もしくは生き残る)と信じて、前向いてやるか、と缶のくぼみをペコペコと元の状態に戻す。
「いやぁ、バンコク最後の夜は大切なレッスンを教えてくれたな…。」ホテルの前で空を見上げると星がキラリとウインクし、やつれ切った心を癒してくれた。