リターン練習
「ヘイイイイ!グッモーニン!」
前日、ダニエルの大熱戦を眼の前で観戦したお客さんたちは朝から気合がすごかった。
今日はフリープレーの予定だったが、いつものまったりした雰囲気はどこへ行ったのやら。
「ナオ、速いリターンをどうやって持ち上げたらいいの?」「私のスイングを見て!」「とにかく強いサーブちょうだい!」矢継ぎ早にオーダーが飛び交う。
まるで長蛇のできるレストランのシェフになった気分である。ピッと注文札を見ては、フライパンを手際よく振り、時に厨房全体を見渡し、「5番テーブルのお客さんのオーダーとって!」と叫ぶ。
特にこの日は『速くて深いサーブに対してのリターン』についてよく聞かれたので以下にポイントを記しておく。
1.『とにかく高く、深く』返す。
→前に詰める時間を稼ごう。
2.返す場所はとりあえず『真ん中』。
→速いサーブに対して「さあて、どこに打とうかしら…」などと優雅に迷っている暇はない。
3.『キッチンライン前に到着して、相手のサードショットに対して構える』までがリターン。
→相手のスイングを観察できるぐらいの余裕をもってキッチン前で構えられるのが理想。駆け込み乗車のようにギリギリ到着しただけではいいリターンとは言えない。
4.『リターンを打ったらすぐ前に』の意識をなくし、『しっかり見て、打つ』ことだけを意識。
→速いボールは向こうからやってきてくれるので落ち着いて。いつもよりも立ち位置を下げるのもポイント。
5.浅いリターンを打ってしまった時は「ショート!」とペアに伝える。
→相手のサーブが良すぎる場合は「リターン、浅くなっちゃうかも。ごめんぴ。」とペアに伝えておくと精神的に楽になる。ごめんぴ、の時はかわいく首を傾けると◎。
6.リターンを打つ人に「リターン、浅くなってもいいよ。僕が君を守るから」と声をかけてあげる。
→モテる。(モテ具合には個人差があります)
以上のことを参考にしていただき、明日から爽やかにリターンを返してもらえればと思う。
カーオ・サムローイ・ヨート国立公園
今日はKHAO SAM ROI YOT NATIONAL PARKで洞窟探検とビーチでのんびりプランである。
到着後、すぐにハイキングがスタートする。海岸沿いの小さな山を登っていく。
お客さんたちの波瀾万丈な人生の歩みを聞きながら、一歩一歩、頂上を目指す。
山の頂上付近に近づくと、眼下に美しい白浜が見えた。
モーセが半分だけ海を割ったような景色にうっとりと見とれてしまう。
プラヤーナコーン洞窟
白浜に到着する。
まだ元気なお客さんたちだけを引き連れ、このナショナルパークの目玉、「プラヤーナコーン洞窟」へと向かう。
ビーチから1時間ほど歩くと約200年前に発見された巨大な洞穴が見えてくる。
「洞窟」や「探検」という言葉に弱い僕のハートはトキメキを感じずにはいられない。
象のような形の岩石。
小さな洞穴に光る2体の仏像。
さらに奥へ進むとラーマ5世の記念堂がドヤ顔で建っていた。
天からキラリと射す自然光がスポットライトよろしくな建物は「どう?私、きれいでしょ?」と僕にグイグイ尋ねかけてくる。
悔しくも認めざるを得ない美しさに「あんた、ズルい女だね」とシャ乱Qみたいな口調で返し、洞窟をあとにした。
理想のマッサージ師
夜は市内のナイト・マーケットへ。
お客さんのほぼ全員が「タイマッサージに行きたい」と頼んできたため、ダニエルと手分けしてマッサージ屋を探す。
「ここに5人いける!」「ここは3人!」「5分後、ここ行けそう!」なんとか無事、お客さんたちをマッサージ屋へと案内できた。
あとは自分のマッサージ屋だけである。
「あ、ごめん、人がいっぱいなの」「マッサージ師がごはん中で…」「20分待てる?」
まさかの3件連続で断られる。こんな経験は生まれて揉まれて初である。
「もうどこでもいいんだけど…」マッサージ屋を探して足が疲れてくるとは皮肉なものだ。
足が棒になりかけた瞬間、ようやくタイマッサージ屋を見つける。
「空いてる?」と受付女性に聞くと「場所がない」と断られてしまう。
だが、その瞬間、奥から来た短髪の女性が「通しな!」と叫び、中へと通される。
その迫力は『天空の城ラピュタ』に登場する女ボス・ドーラのようだ。
「ここに寝て待ってな!誰かマッサージ師探してくるわ!」とドーラに案内された場所は空間を仕切るカーテンが何もない、手術台のようなシングルベッドだった。
間接照明のようなぼんやりとした灯りは一切なく、ギンギラギンの蛍光灯はさりげなさもなしに僕の頭上を照らす。
隣では大柄の白人男性が「うーうー」と大きめの声で呻きながら、布一枚を羽織ってオイルマッサージを受けている。
「最悪や…」僕はタイに住んでいたころは週3回以上はタイ・マッサージに行くほどの揉まれ屋さんだったのだが、ここは人生でワースト3に入るほどの最低な環境が整っていた。
「いや、でも施術してくれる人がいい人だったら全て挽回されるし…」
なんとか気持ちを切り替えようとするが、何分経っても僕のところにマッサージ師がやってこない。
なぜ来ない来ない来ない来ない来ない来ない、担当は…。
長すぎる待ち時間と共に不吉な予感が胸にしんしんとよぎってくる。
結局、担当がさっきの横暴な短髪女性だったらどうしよう…。
ハリー・ポッターが組分け帽子に『スリザリンは嫌だ、スリザリンは嫌だ…』と唱えるかの如く『ドーラは嫌だ、ドーラは嫌だ』と心で唱える。
しかし僕の願い及ばず、組分け帽子は「女ボス・ドーラ~!」と叫び、ババーンとドーラが現れる。
「終わった…」僕の心中をお察しせずにドーラは僕の足を無言で揉みだす。
「はぁ…まぁこんな日もあるか…」とガックシしていると…む、むむ…マ、マッサージがめちゃくちゃうまい…!!
センと呼ばれるエネルギーラインに沿って、指圧を行うのがタイ古式マッサージなのだが、ドーラの指先はセンの場所を1ミリもズラさず確実に突いてくる。
そしてたくましい腕をただ力任せに使うのではなく、絶妙に痛点の一歩手前で止める寸止め技法は並のマッサージ師ではないことの証明だ。
さらには姿勢の変換時もこちらが気づかないほどにナチュラルで、その芸術的な施術の流れが極楽の境地へと僕を完全にいざなった。
天からピカリと射す蛍光灯がスポットライトよろしくなドーラは「どう?私、じょうずでしょ?」と僕に次から次へと指をグイグイ押しこんでくる。
どんな魔法学校で習ったのかわからない達人の技に「あんた、ズルい女やで…」と認めざるを得なかった。
施術後、「めちゃくちゃうまかったです。人生で一番のマッサージでした…!記念に写真を一枚撮ってもらえますか?」と尋ねると少し照れた顔で「ちょっと待ってて」と言って、鏡で髪をセットし、帰ってきた。
一連の流れを見ていた周りの若い女の子たちが「ママ、彼氏できたの?」といじりだすと魔法が解けたかのように「早よ働けぃ!」と高圧的な女ボスに戻り、ズシズシと奥の方へと去っていった。
昔、僕は良いマッサージ師に出逢うことなんて石ころよりもあふれていると思っていた。
でも実際は賢者の石や飛行石を発見するよりも難しいのである。
今宵の奇跡に改めて感謝を込め、呟く。
「Bye-bye、ありがとう、さようなら…」
店を出て、熱気渦巻くナイト・マーケットの流れに軽くなった体をそっと乗せる。
ごった返す人波にいつもなら疲れてしまうのだが、今はとことん気分がいい。
「また来年もタイに戻ってきたいな…」
一人で歩く今夜の風はあの頃と同じにおいがした。