世界的なピックルボールメディアへ成長した「The Kitchen」。
その始まりは、巨大な事業計画ではなく、仲間と楽しむ小さなFacebookグループでした。
The Kitchenはピックルボール文化を広げたメディア
The Kitchen Pickleballは、ピックルボールのニュースや選手情報、試合の話題を発信するだけでなく、プレイヤー同士をつなぐ大きなコミュニティとして成長してきました。
創設者のジャレッド・ポールは、ポッドキャスト番組『Pickleballers』の共同ホストでもあり、競技の魅力をわかりやすく伝える発信者です。
The Kitchenの特徴は、ただ情報を流すだけではないところです。
プレーする人、観戦する人、パドルブランド、プロツアー、イベント関係者までを巻き込み、ピックルボールを「遊び」から「文化」へ押し上げました。
日本で例えるなら、競技ニュースとファンコミュニティ、スポーツカルチャー誌が合体したような存在です。
ジャレッド・ポールの遠回りなキャリア
ジャレッドの人生は、最初からピックルボール業界を目指していたわけではありません。
ニューヨークで9.11を経験し、その後はファンクバンド「Frontline Theory」で音楽活動をしていました。
さらにサンフランシスコでは非営利団体を運営し、人を集めたり、活動を広げたりする経験を積んでいきます。
その後、デジタルエージェンシーで働く中で、ジャレッドは大きな気づきを得ます。
それは、自分は誰かに雇われて決められた仕事をこなすより、自分のアイデアで新しい場所を作るタイプだということです。
音楽スタートアップで失敗した経験もありましたが、その失敗が人を巻き込む力や発信力につながっていきました。
コロナ禍の偶然がコミュニティを生んだ
The Kitchenの始まりは、立派な会社設立でも、大きな投資でもありませんでした。
コロナ禍のオースティンで、ピックルボールを楽しむ人たちをつなぐFacebookグループを作ったことが出発点です。
きっかけは、Bolden Acresというバーでピックルボールに誘われたことでした。
当時は、外出や人との交流が制限される中で、気軽に体を動かし、人とつながれるスポーツが求められていました。
ピックルボールは、初心者でも始めやすく、会話しながら楽しめる雰囲気があります。
コミュニティ(※同じ趣味や目的を持つ人たちの集まり)が自然に広がった背景には、競技のゆるさと熱量のちょうどいいバランスがありました。
小さな広告契約から事業が動き出した
The Kitchenがビジネスとして動き出した最初の大きな一歩は、Amazonで販売されていたパドルブランドとの月1,000ドルの契約でした。
パドル(※ピックルボールでボールを打つラケットのような道具)を扱うブランドにとって、熱量の高いプレイヤーが集まるThe Kitchenは魅力的な発信場所だったのです。
そこから、ラスベガスでElectrumというブランドのCM制作に関わるなど、活動は一気に本格化していきます。
さらに、PPAツアー(※アメリカの主要なプロピックルボール大会シリーズ)を率いるコナー・パードーとの初期パートナーシップも実現しました。
まだ多くの人がピックルボールの将来性を信じきれていなかった時期に動いたことが、後の大きな差になりました。
本物のファンを大切にした成長戦略
The Kitchenがすごいのは、フォロワー数を大きく見せるために数字を買わなかったことです。
SNSでは、見た目の影響力を高めるためにフォロワーを購入するケースもあります。
しかしジャレッドたちは、実際に投稿を見て、反応し、会話し、プレーしたくなる人たちを大切にしました。
その結果、The Kitchenは単なるSNSアカウントではなく、ファンが自分から参加したくなる場所になりました。
ここが簡単に真似できないポイントです。表面的に同じような投稿をしても、そこに本物の会話や信頼がなければコミュニティは育ちません。
The Kitchenは、数字よりも熱量を優先したからこそ、強いブランドになったのです。
シングルスがテレビ向きと考えられる理由
ジャレッドは、ピックルボールをテレビ向けスポーツとして広げるうえで、シングルスが重要だと考えています。
シングルス(※1対1で戦う試合形式)は、選手の動きや表情、勝負の流れが見えやすく、初めて観る人にも展開が伝わりやすいのが特徴です。
ダブルスは戦術や連携のおもしろさがありますが、初心者には「今、誰がどこを狙ったのか」が少し分かりにくい場面もあります。
一方でシングルスは、1人の選手がコートを走り回り、攻める・守る・切り返す流れがはっきり見えます。
テレビ映えを考えると、スピード感やドラマ性が伝わりやすい形式だといえます。
まとめ
The Kitchenの物語は、ピックルボールが単なるレクリエーションから、世界的なスポーツカルチャーへ広がっていく流れを象徴しています。
ジャレッド・ポールの歩みを見ると、失敗した音楽スタートアップや偶然の出会いも、次の大きな挑戦につながることがわかります。
小さなFacebookグループから始まった活動が、ブランド、メディア、プロツアーを巻き込む存在になったのは、
本物のコミュニティを大切にしたからです。
これからピックルボールがテレビやSNSでさらに広がる中で、The Kitchenのような発信メディアの存在感はますます大きくなりそうです。


